《容斋随笔·卷十五·任安田仁》
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仁安、田仁,皆汉武帝时能臣也,而《汉史》载其事甚略,褚先生曰:“两人俱为卫将军舍人,家监使养恶恶马。仁曰:‘不知人哉!家监也!’安曰:‘将军尚不知人,何乃家监也!’后有诏募择卫将军舍人以为郎。会贤大夫赵禹来,悉召舍人百余人,以次问之,得田仁、任安,曰:‘独此两人可耳,余无可用者。’将军上籍以闻。诏召此二人,帝遂用之。仁刺举三河,时河南、河内太守皆杜周子弟,河东太守石丞相子孙,仁已刺三河,皆下吏诛死。”观此事,可见武帝求才不遗微贱,得人之盛,诚非后世所及。然班史言:“霍去病既贵,卫青故人门下多去事之,唯任安不肯去。”又言:“卫将军进言仁为郎中。”与褚先生所书为不同。《杜周传》云:“两子夹河为郡守,治皆酷暴。”亦不书其所终,皆阙文也。
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容斋随笔 卷十五任安田仁译文
任安、田仁,都是汉武帝时才能出众之臣,可是汉代《史记》记载他们的事情甚为简略,褚先生说:“两个人都是卫青将军的侍从宾客,卫家总管让他们去饲养暴烈咬人的马匹,田仁说:“这个总管没有知…详情
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